それ以上でもそれ以下でもない心
ようこそいらっしゃいませ…。「それ以上でもそれ以下でもない心」是非ご覧下さい。
その名の通りに意味ではあります。例えば、「自分はあくまで選手、そして観客」「自分はあくまで役者、そして観客」と聞いた事があるでしょう。それが望ましいハズが、アイドルや声優などに降りかかった出来事やプロアスリートが観客席から差別や蔑称する様な野次を浴びせられたとなるととても残念です。これらについて私見を述べていきます。
サッカー界では選手や監督、観客の政治的な揶揄であったり、人種差別やその他蔑称に対してはかなり厳しく対処されます。または不適切で好ましくない行為に対してもそうです。あくまで競技は競技である為に厳しく対処せざるを得ないのが現状です。アイドルやファンもお互いに楽しさを追い求めはしてもそれまでです。貢いで役に立つ自分に酔いしれるなど、もっての他です。あくまで自分が楽しむ為のハズのモノなのに…。
楽しませようと思って活動や仕事をする事はあっても、自分がではありません。あくまで消費者です。そして、消費者とはその人の人生を変える為にいるのではありません。人生を楽しいモノにするのではなく、例え消費者(ファンなど)の人生が楽しいモノであろうがそうでなかろうがエンタメ自体を楽しんで貰うのです。
人生において役立たないモノの方が世には多いワケでして…。こうしたエンタメなどは、気軽に楽しむくらいが最もよく、あまり重く大きく捉える事もありません。
僕にとって、最も重要な要素が精神だと思います。プロ野球でもプロサッカーでもアウェー(対戦相手試合会場)でハイパフォーマンスを引き出せるかどうかです。トップクラスにとって、罵詈雑言の嵐でも自分は遂にここまでたどり着いたと思えるか、壮大な景色に感じるかどうかではないでしょうか。笑いモノにされることはあっても、自分はしない。『試合見に来い、楽しいよ』だったり、ライブなどであれば『ライブ来たり、著書買って読んでみな面白いぞ』と『人対人』にランクダウンせずに、『観衆対役者、またはプレイヤー』で居られるかも人としての精神力を図る上での要素に数えられると思います。
人として精神的に弱ければ、舞台の上の役者であったりアスリートとしてそぐわないのではと僕は考えます。