自分の心で感じたままに決断するということ

 自分の心で感じたままに決断し、環境をそして状況を変えて新たに再スタートを図ったり、またはどうしようか考えた事は誰しもがあると思います。僕も決してその例外には当たりません。自分はかつて私学の小中と籍を置いており、人間関係という点で躓いてしまい、このままでは状況は変わらない時間だけが過ぎていく一方だと思いました。  そこで僕は両親に近所の公立校へと行かせてくれないかと話しをしてみました。ところがあまり僕が本気にしていると全然思っていなくて、僕の心の声を意思を本気で確かめてみようとしている様子はありませんでした。そこは今でも残念に思っていますし、子どもの意思を本気で確かめようともしないのは親としてはどうかと思います。

 しかし、その時の僕にも反省しなくてはいけないことはありました。土下座して頭を下げてでも必死に懇願する、覚悟を示すということをしなかったのです。自分から頭を下げるケジメをつける、自分の心の声を誠意を持って態度を示さなかったところに僕の過失がありました。もちろん、交友関係で間違いを犯してしまった反省もあるしそれを踏まえもう間違いはしないという気構えも伝えるべきでした。しかし、今思えばそれを知らない当時の僕の底の浅さは悔やんでも悔み切れません。

 心で感じたままに決断する、実行に移すということは誠意が居るしわかりやすい形で示さなくてはいけません。もちろん覚悟はいいということもそうです。

 ただ、親であれば兄弟であれば自らの意思、誠意、覚悟というものを子どもに教えるべきだと思います。例え代償やそのほかリスクを覚悟してでも本当に自分の下したい決断、自らの意思とはなんなのかをはっきりと示すということをです。うちの両親をそれを教えなかったし確かめようと思っている様子も見られませんでした。まるで真摯さや直向きさというものがなかったのです。

 それが僕の両親の罪であり、僕はこれらを真似するわけにはいかないと今でも思っています。僕が本当に伝えたり継承させなくてはならないことだと思っているのは、真摯、意思、覚悟、誠意、思慮、気配り…です。良かれと思っていたのか、それとも適当で何も考えたくなかったのかどうかは知りませんが子どもへの本気さや必死さを伝えようとしている直向きさは長い目で見ると必ず伝わります。それには精神的な強さが欠かせません。これらは教える事が難しいのでしょうが、その人に生き様や精神にかけてみましょう。芯を守り通す、筋を直向きに通すのも難しいかもしれませんが無理やりにでも通させた方がいいと思います。これらは肌で感じる学ぶ部分が大きく、教えて身につくものではありませんからね。