何故勉強しなくてはならないのか

 何故勉強しなくてはならないのかというと、それは自分のためであることはもちろん身近で周辺の人たちのためです。学校のクラスだとテストで自分が良い点をとっても他の人の人生が良くなるわけではなく、悪い点をとっても他の人の人生や組織に危害が及ぶということはありません。これでは何故勉強しなくてはならないのか、実感が湧きません。しかし、ちゃんと比率や分数、割合、パーセンテージの意味がわからなかったり、漢字の読み方、そして言っていることの意味や本の書かれていることの意味がわからなくては仕事先の同僚であったり、組織を動かす上では非常に困ります。

 自分はお金をもらい、自らの生活を築いていく上でそれは困りますし同僚たちも困ります。だからこその勉強が不可欠なのです。現状、学校のクラス内ではテストで点を取ろうが取るまいが他の人が困ることはないのですが、仕事だと同じ組織内の人たちのことはいくら不安や心もとなさがあっても信じるしかない頼るしかないわけです。

 小学生の時から、お互いに物事をグループを動かしていくうえでお互いを頼るしかない信用するしかない状況を勉強でもスポーツでも積み重ねさせると良いとは思いますが現状どうかは疑わしいです。勉強でテストで点を取るのは自分が得するためなのはもちろん他の人が助かるということを忘れないことです。

一人の人間として…。

 本当に友人であれば、絶対に面倒事に巻き込んだり突きつけたりはしません。自分はやたら軽薄で無神経な部分はあったのかもしれませんが、絶対にやってはならない犯罪もせず人に対して社会的な危害や損害などは一切与えてはおりません。

 みんなでやれば怖くないとかそんなみんなは自分に対してよくしていればいいという考えは余りにも浅ましく社会的にも精神的にも自立しているとは到底言い難いです。本当の友人であれば決して無理は突きつけず代償を決して迫ったりはしません。その人が自分に対して良い人だとしてもその人が一般常識に反する、社会的に良いものでない行為をしていないかどうか気をつけてください。

 誰がなんと言おうと、どんな理由があろうと違うモノは違うと真摯かつ誠実であることが大事なのではないでしょうか。狭い空間での雰囲気に騙されることなく、一般常識を忘れず大事に守らなくてはならないことはしっかり守り通していきましょう。

 そうやって真摯かつ誠実で精神的にも社会的にも自立し、自分の心で感じたままに自分の脚で人生を歩んで行ってください。良い人にこそ注意です、逆に良くなさそうな感じでしかし一般常識や良俗に反する行為をしていない人こそ信じられるかもしれません。

安心と信頼

  こんにちは、今回は自らの半生における経験上言えるのではないかと思えることをお話しします。大まかには人間関係、そして各人における信頼関係やお互いに安心感があるかどうかというお話しです。

 自分にはかつて、自分のことをどれだけ知っているのかこちらから見ると解らない人たちが身近に居ました。一方でこちらは向こうのことがよくわからず、それなのに向こうはやたら気安い態度で自分はどう言い返したり、その場をどう切り抜けたら良いか分からず戸惑いと不安が入り混じりました。

 一体、僕のどういうところに気安くなるのかは分かりません。しかし、それでも例え元々仲の良い人だとしても礼節があり守るべきところはキチンと守っているモノではないでしょうか。

 それでも普通に話しをしてくれる人がいて、こちらも普通に話せば良くて気の利いたセリフを考える必要もない。その人に対しては不安も戸惑いもなく安心があり信用もおけました。向こうは仲の良い人だと思ってはいても決して浮かれたり油断する感じがなく、自分も決して気を抜かず守るべきところはしっかり守ろうと思っていました。

 守るべきところはしっかり守る、ある程度の距離や壁は徹底させることこそが礼節であり信頼や安心に繋がると僕は思います。

 

それ以上でもそれ以下でもない心

ようこそいらっしゃいませ…。「それ以上でもそれ以下でもない心」是非ご覧下さい。

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 その名の通りに意味ではあります。例えば、「自分はあくまで選手、そして観客」「自分はあくまで役者、そして観客」と聞いた事があるでしょう。それが望ましいハズが、アイドルや声優などに降りかかった出来事やプロアスリートが観客席から差別や蔑称する様な野次を浴びせられたとなるととても残念です。これらについて私見を述べていきます。

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 サッカー界では選手や監督、観客の政治的な揶揄であったり、人種差別やその他蔑称に対してはかなり厳しく対処されます。または不適切で好ましくない行為に対してもそうです。あくまで競技は競技である為に厳しく対処せざるを得ないのが現状です。アイドルやファンもお互いに楽しさを追い求めはしてもそれまでです。貢いで役に立つ自分に酔いしれるなど、もっての他です。あくまで自分が楽しむ為のハズのモノなのに…。

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 楽しませようと思って活動や仕事をする事はあっても、自分がではありません。あくまで消費者です。そして、消費者とはその人の人生を変える為にいるのではありません。人生を楽しいモノにするのではなく、例え消費者(ファンなど)の人生が楽しいモノであろうがそうでなかろうがエンタメ自体を楽しんで貰うのです。

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 人生において役立たないモノの方が世には多いワケでして…。こうしたエンタメなどは、気軽に楽しむくらいが最もよく、あまり重く大きく捉える事もありません。

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 僕にとって、最も重要な要素が精神だと思います。プロ野球でもプロサッカーでもアウェー(対戦相手試合会場)でハイパフォーマンスを引き出せるかどうかです。トップクラスにとって、罵詈雑言の嵐でも自分は遂にここまでたどり着いたと思えるか、壮大な景色に感じるかどうかではないでしょうか。笑いモノにされることはあっても、自分はしない。『試合見に来い、楽しいよ』だったり、ライブなどであれば『ライブ来たり、著書買って読んでみな面白いぞ』と『人対人』にランクダウンせずに、『観衆対役者、またはプレイヤー』で居られるかも人としての精神力を図る上での要素に数えられると思います。

 人として精神的に弱ければ、舞台の上の役者であったりアスリートとしてそぐわないのではと僕は考えます。

 

 

*1:題名の意味とは?

*2:あくまで競技は競技

*3:誰かの役に立つ為のモノではない

*4:元々役立たなくても楽しむ

*5:アウェーでゲームに臨む上での精神

超逆説的思考

 どうも、ようこそいらっさいマシ。今回は上記についてお話ししていきます。宜しくお願い致します。

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 超逆説的思考とはその名の通りですが、色々な事を表裏ひっくり返して見るということです。まず『動じない・浮かれない・揺らがない・惑わされない・流されない』など心がけて下さい。『~は最強』などと口に出す人はどうせ調子のいい事言っているだけで勝手にすれば程度でいいと僕は思います。逆に言うと言葉を軽く見ていていつかその言葉が圧し掛かってくるかもしれませんよと。

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 仮想世界とは、インターネットという世界のことでまず簡単には、活字上の世界では言葉通りで表面上しかお互いに見えないということです。軽口が軽口には聞こえない、その人ではなく文字通りしか見えないのが特徴です。それで行き違いが生じやすいのだと思われます。炎上とは言っても、言う側と言われる側とで温度差の違いがあるだけで1言ったことに対して10捉えてしまうといった具合にです。

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 上記から言われる側(語句)は深刻に捉えやすいと言うことで、それはお互い様なのでしょう。語句を軽く見ている人は何とでも気軽に言えるのであり、僕はそんな人は気にかける価値はないと思っております。しかし、その語句の価値を軽く見積もっていた分重みとなっても知りませんよと。響きの良い語句にしても悪い語句にしてもそれは同じです。

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 何でも物事は楽に効率的にと言われるとそれはとても正論だと言えます。生産性をあげるといえば聞こえはとても良いのですが、安全管理や品質管理が抜け落ちていたりするのかもしれません。消費者にとっては安さが売りでも客の価値を低く見積もっているのではなく価格競争であったり消耗や疲弊が重なる持久戦状態があるからです。

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 売れるやり方であったり、王道なども疑ってしまうという考えです。売り方が大事になってきている現代ですが、果たしてそれは絶対的には売れるモノであるかどうかなどです。王道と言われると、そこを歩もうとしている人がたくさんいるのであってその『王道』をどんな気概で見ているのでしょうか。王道を歩めばその道の王様になれると思うなよとすら思ってしまうのです。その道の王様となるともはや『覇王』ですね。

 

*1:具体的にはどういう事か?

*2:仮想世界の特徴

*3:語句を軽く見るな

*4:楽にという言葉すら疑え

*5:王道こそ荊棘の道

“真”を追い求めてみる

 

 ようこそいらっしゃいマセ。今回は題名通りに語っていきますよ。どうぞご覧下さい。

*1簡単には、正義であったり強くて上手い人が勝つとも限らないと言うことです。例えば行動する事はあっても、僕から言わせてもらうとそれが“実行”だとは思いません。結果を追い求め、それで結果を出して初めて実行だと言えます。何かしら実行して1試合1試合結果を残して初めて実力が証明されると考えます。

*2まず、競技で例えると年間を通して高い次元のパフォーマンスを継続して行けるプレイヤーです。調子の良くない時期があっても、やるべき事を淡々とこなして風向きが良くなってきた頃に一気に駆け出して来る様な人です。良い時も悪い時も長く続くワケではなくても、浮かれる事なく淡々と準備や実践の積み重ねなど目の前の些細な事に精力を傾けられる事も強き者になる上での重要な要素だと僕は考えます。

*3将棋でも、サッカーや野球でも勝つか負けるか、実力の優劣が分かりやすいですね。物差しがハッキリしている分、深みのある世界とも言えます。同じ競技でもプロとアマとではまるで違います。プロだとアマ時代に何処かのチームで主力を担っていた人たちが生存競争を繰り広げるワケです。長年生き残っているプレイヤーは実力こそが存在の証である事を体現しているのです。

*4競技だとまるで何かの縮図を分かりやすく表しているのではないでしょうか。風向きに後々乗っかってくるのも大いに構いませんが、その風が吹き荒れる前に準備や積み重ねをしてきた人がその風向きになった途端に先端に君臨しているのではないかと思っております。いつだってついて行く側なのか、それとも風向きが変わっていつの間にか先頭にいるのか。

*5その前に必須だと感じているのが、反発力と不屈の精神です。今いるフィールドで調子がいいと思って浮かれてはいられません。競争相手もいるし好況不況があり、これから風が何処へ吹き荒れるのかそれが追い風になる人がいれば向かい風になる人もいます。自分はどんな風向きの時が活きるのか逆風の時は自分は他と比べて持久力や耐久力という点で有利か不利かです。後は差を付け、違いになることを求めるのです。サッカーだと走る速さで違いを生み出して、ライバルに差を付けるプレイヤーがいたり野球だと同じ投手でも敏捷な守備や コントロールで差を付けるなど…です。

 

*1:“真”とは何か

*2:本当の意味で強き者とは

*3:勝負の世界

*4:勝ち残った者こそが強者であり真理

*5:勝てるフィールドや風向きを見切れ

心の隙間、それは狂気になりうる

どうもようこそいらっさいマシm(_ _)m 心の隙間について書いて見ます。是非ご覧になってください。

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 色々と心の隙間を埋めようとするのは人である以上、仕方がないことだとは思います。例えば、自分は上り詰めたいとか見返したいなど各々あることでしょう。問題なのは埋め方とその壮大さです。あくまで誰にも迷惑をかけず、利害の及ばない所で埋めるのはまあ良いとしてですよ…。仕事を自分の心の隙間を埋める為に利用し、身近な人(利害関連)や消費者を利用するのはどうかなと疑問に思います。

*2

 消費者もまた、そんな人を利用して心の隙間を埋めようとしていて、それで自分の何が変わるというのでしょうか。消費とはそもそも取り巻く現実を変える為のモノではありません。自分としては消費とは自分の心の隙間を埋める為ではなく、それとは別に楽しむまたは参考にしてみる事だと思います。ここ数年アイドルや声優などファンとの距離について考えさせられることがありますが。

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 簡単には、そのユーザーは果たしてどんな位置にいるのか?ここがポイントです。自分はブームやら何やらを煽っては自分は安全で足を動かさずに済み、手を汚さずにいようとしているのかもしれません。自分の損害を抑え、極力消費者や関係方面に労力やリスクが行く様になっている。そんなシステムを作っているのかもしれませんよ。本当に自分は楽ばかりで、他の人に労力は背負わせる様な人に得して欲しいと思いますか?その一方で承認欲求や心の隙間を埋めようとする人がですよ。

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 これは自他ともに安全の為です。距離というより、観客と役者とである種しっかり分断するようなモノです。首尾一貫、一部の人の為ではなく広範囲にわたる人のためにです。誰かを意識するのではなく、あくまで大衆、消費者です。アイドルや声優など距離が近くて誰かを意識していて事件が起きたりしていますね。始めから誰かの為ではなく広範囲の為に、距離というよりも壁を作っておくのです。それによってお互いがあまり干渉しないよう、安全を図るのです。心の隙間を埋める為に誰かを意識してはいけません。

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 まず楽しむ為ではないという事です。あくまで暮らして行くためのモノです。自分は何が得意か分からなくても、人から役立てられているモノがあれば良いと思います。自分は淡々とこなしていても、役立てられている実感がない、そんなに凄い事なのかなと思うくらいが良いと考えます。もっとも、人の活かし方や得意分野を見出せる存在がいてくれると良いのですが。自分はそんな大した事などしている気がなくても自分でどう思うかと人から役立てて貰えている事は違いますからね。

  

 

 

*1:今回取り上げる心の隙間とは

*2:消費者は関係ないではあるが…ではどういうことか

*3:声の高いユーザーは疑え

*4:広く浅くで一人あたりの密度を下げよ

*5:では仕事はどうあれば良いか